文章をかくと決めた今
2011年 01月 13日
人に読んでもらうということ。
わたしは今までそれを意識しているようで実はとても避けていたように思う。
わかってもらえない可能性を怖がって、わかってくれる人にはわかってもらえると強がる。
気づけば誰にもわかってもらえやせず、誰にも読んでもらえもせず。
物語というものはある種そういう部分があるけれど、それじゃあせまい世界でしかないし。
望んでいるものは得られない。
子供の代にも読んでもらえるようなものを書きたい。
自分中心の目標ばかりが強くなって、相手を考えるということを忘れていた。
読む人が感動するには、ワタシが感動することが大事だ。
自分だけが満足するのなら、それは日記と変わりないし、シークレットであればいい。
でもワタシは自分を認めてもらいたいし、書きたいことがある。
むせ返りそうなとき、ワタシは文章に換気を求める。
自分中心から他社へのメッセージを考えるのは次の段階でもいいんじゃない?
とりあえずは、自分の感動を人と共有するということをはじめよう。
読者あっての文章なのだ。
人は関わっていかなければ、独裁政治家のように、恥ずかしいものになりさがる。
わたしは今までそれを意識しているようで実はとても避けていたように思う。
わかってもらえない可能性を怖がって、わかってくれる人にはわかってもらえると強がる。
気づけば誰にもわかってもらえやせず、誰にも読んでもらえもせず。
物語というものはある種そういう部分があるけれど、それじゃあせまい世界でしかないし。
望んでいるものは得られない。
子供の代にも読んでもらえるようなものを書きたい。
自分中心の目標ばかりが強くなって、相手を考えるということを忘れていた。
読む人が感動するには、ワタシが感動することが大事だ。
自分だけが満足するのなら、それは日記と変わりないし、シークレットであればいい。
でもワタシは自分を認めてもらいたいし、書きたいことがある。
むせ返りそうなとき、ワタシは文章に換気を求める。
自分中心から他社へのメッセージを考えるのは次の段階でもいいんじゃない?
とりあえずは、自分の感動を人と共有するということをはじめよう。
読者あっての文章なのだ。
人は関わっていかなければ、独裁政治家のように、恥ずかしいものになりさがる。
# by tsuruyou | 2011-01-13 11:19